【マイケル・サーカ インタビュー記事 2021年7月】
Catch The Fire Japanでは、大切にするコアバリューとして、「臨在」「変革」「出会い」「優秀さ」「尊敬」を掲げています。
今回は、CTFジャパン/アジアの代表であるサーカ・マイケルさんに第一回目のインタビューを行い、コアバリューの一つである「尊敬」について、質問形式でお話しを伺いました。
「尊敬」とは何か?
一度立ち止まって、ぜひ自分にとっての「尊敬」を見つけてください。
Q. CTFジャパンのコアバリューにも掲げられていますが、マイケルさんにとっての「尊敬」とは何ですか?
「尊敬」は、自分たちの文化だね。
普通、人が尊敬するのは、「自分よりできる人」「自分にできないことをやった人」「自分より上の立場の人」など、”何かができるから”尊敬を表す。
でも、何もしていない、自分より下の人には尊敬表さない。
それは間違った尊敬で、本来、どんな人でも尊敬できる点はあると思う。
例えば、「互いに愛し合いなさい」というのはわかるけど、この日本の文化の中で、どう愛すればいいのか?
「愛」という言葉はあるけど、愛を表すとか、愛し合うとか、男女関係でしか使わないよね。
「愛」の言語を見ると、7つのことばがあるけど、結局みんなエロスの愛になってしまう。
個人的に思うのは、イエスの「愛し合いなさい」という言葉を見ると、一番近いのは「尊敬」だと思う。
それが当時革命を起こしたと思う。
人を敬う、尊敬する。
特に、当時のローマ時代でいくと、今より酷かった。
奴隷、女性、子供には尊敬なかった。
でも、相手がどんな立場かということは問題じゃなくて、何かしら尊敬できるところを探せると思う。
自分は2歳児でも尊敬できる。
何かしたからじゃない。
いい大学行ったから?
違う。
神が造った人として、尊敬を表すことができるよね。
神の子として尊敬する。
どういう人であってもそういう目で見れば、尊敬できないはずがないと思う。
Q. では、イエスももちろん「尊敬」の心を持っていたと思いますが、イエスが人を尊敬する理由は何だと思いますか?
神は愛だから。
愛は神。
愛を正しくわかってないから、ある意味教会もめちゃくちゃになる。
NOと言いたい時に言えない。
愛があるからこそNOが言える。
一般の人が神の愛を考えると、”神は全部赦す”と思っている。
でも、神は愛だからこそ制限をつける。
制限があると愛じゃないと思う?
子育ては最高の例だよね。
子育てを見ると、子供を愛しているからこそ制限をつける。
でも、愛してない、他人の子供なら、自分に責任ないから、知ったこっちゃない。
日本の文化的にいくと、一番ピンとくるのが尊敬。
例えば、「教会に来る人を愛していますか?」って聞かれると、みんな「愛してます」と言うよね。
でも、「みんな尊敬できていますか?」と聞くと、「いや、あの人は水商売だから・・・」とか言って口ごもってしまう。
みんな、どんな人のことも尊敬しないといけない。
だからこそ、初代教会って魅力的だったと思う。
自分にとってはそれが尊敬だね。
Q. たとえば、自分のことを傷つけた人、嫌なことをする人、誰から見ても悪い人など、尊敬することが難しい人は少なからずいると思います。そのような人をどう尊敬したらいいでしょう?
なんで尊敬するのが難しいの?
結局のところ、選択肢はない。
神は「こういう人たちだけ尊敬しなさい」とは言っていない。
自分がどう思っていたとしても、尊敬しないといけない。
みんな神が造った人なのであれば、神の計画があるし、神の子供。
だから、尊敬できないはずがない。
何かしたから尊敬するのであれば難しいと思う。
でも、何かをしたから尊敬するんじゃない。
”人だから”尊敬しないといけない。
神が造った人だから尊敬する。
考えを変えないとね。
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いかがだったでしょうか。
今まで考えていた「尊敬」とは違った形の「尊敬」が垣間見えたのではないでしょうか。
「神が造った故に、人を尊敬する」ということは、愛の基盤であり、私たちが根差すべき土台なのかもしれません。
これまで愛することが難しかった人のことも、視点を変え、聖霊の助けを受けるなら、きっとその人のことを愛することができるようになるはずです。
なぜなら、私たちは愛の神の子どもなのですから。
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